190303 舞台ガンダム00の感想

舞台ガンダム00を観てきました。以下オタクの長文が続きます。体力のあるときに読んでね。

両親を撃ち少年兵となった刹那が倒れる仲間を横目に戦場を走り「この世界に神はいない」と叫ぶところから始まって、舞台奥では逆光によりシルエットと化したアリーが説教を続けている。たとえ目の前にいなくても、声が刹那の頭の中で止むことはなく……という序盤の演出が視覚的にかなりわかり易くて良かった。宗教の縮図。この説教シーン、無線放送で鼓舞するだけの梯子の外し方とか、それでいて見られているように感じる居心地の悪さだとかが可視化されていて最悪だ……。音声は録音でアリー自身は既に撤退していそうなのも普通に嫌。

同時進行で複数のストーリーを進める場合に映像では場面転換や画面分割などする所を、ステージ上で距離をとり、それぞれが演じることで時間軸を表現できるの、舞台ならではでとても良いな。

モビルスーツ戦闘はコクピットを模した座席を人力で動かして、搭乗したパイロットが武器を持って戦う騎馬戦手法でした。事前情報を見なかったためかなり驚いたんですが、人が動くとすぐに慣れた。初見のインパクトはすごいんだけど、ストーリーの邪魔はしないというか、結構なスピードの中立ち上がるパイロットとか、そもそも座席を動かすアンサンブルの体力筋力とか、改めて考えるほど凄い演出方法だ。デュナメスは元々コクピット内部にスコープがあるので、ニールはわりとそのままだったかも。MS、舞台で再現するとこうなってしまうんだ……。

キャスト全員が素晴らしかったことは前提として、中でもネーナとスメラギさんが好きです。特にスメラギさん役の立道梨緒奈さんがかなり良かった。スメラギさんて隙を見せてもそこからは踏み込ませてくれないイメージがあるけど、立道さんは毅然としていて隙が控えめで、不意に見せてくれる笑顔との振り幅が素敵だ……。第一幕後の15分休憩で開口一番彼女とマイスターの太ももの話をしました。隣にカウンセラーがいなかったらメチャメチャになっていた。

あとメディア関係なく、はじめてお酒を飲んだアレルヤの「どうしてこんな苦いものを」という台詞が好きすぎる。それまでアルコールに手を出すことはなかったのかな……とか、大人があんなに夢中になるんだからわかり易く美味しいものだと思ったのかな? とか考えてしまう。

アニメ本編を見直すときは一期から二期、劇場版までを一連で、最近はRe:visionまで観ることにしてます。一期をみると久々だな〜と都度新鮮な気持ちになるけど、舞台上でもマイスターの未熟な一面が描写されていくごとに、一期をみているな……という感覚になった。MSの描写が控えめになったことで人間関係に焦点があたるから、感情の機微などは更にわかり易くなっているのかも。作品を通して刹那とティエリアの関係が変わっていくのが大好きなんですが、この頃の二人は尖っていてかなり好き。終盤の二人は最高。

オリジナル展開の後半は敵役をアリーとトリニティ兄弟に限定することで、物語の着地は変えずに展開だけ変えてわかりやすくしたのかな? 00一期は敵役はいても悪役を決めることが難しく、世間一般から見ればソレスタルビーイングはテロリストで、例えば役者さんが好きで初めて00に触れるファンが舞台を観たときに、最後に誰を倒せばストーリーを理解して帰ってもらえるか考えた人選なのかなとも。メディアミックスってそういうものだと思うので。

本来最後に刹那が戦うのはグラハムなんですが、彼は刹那の前に立ちはだかる事はあっても、ソレスタルビーイングのラスボスとして舞台のクライマックスに立つことはないんだろうな。誰が見ても復讐者になりえる要素があって、本人にもその自負があるのに、実際にエクシアを前にすると「会いたかった!」と笑顔になってしまうのがグラハムのどうしようもない所だと思っていて、そこが刹那の言うところの歪みであり、私はグラハムのそういう部分が好きなんだけど、今回の舞台については彼の台詞を借りて「こんな運命もあるのだな」という感じ。スパロボゼミで予習しました。でも機会があるならグラハムのどうしようもない一面も舞台で見てみたいな。ダブルオーVSマスラオ戦の二人がすごく好きだから。

別の話になりますが刹那役の橋本くんとアリー役の窪寺さんが長い付き合いで、お互いが現場にいることで身がひきしまった、みたいなことをパンフレット記載のインタビューで言っていたんですけど、これすごく良くないですか? うまく言葉にできないけど。

ガンダムを手に入れようと牽制したり、上辺だけでも一丸となってみたりする世界情勢の変化が一期の好きな所の一つだから、媒体を変え表現を変え見られるのは嬉しい。二期も舞台化してほしいな。